福島潟は、

 福島潟(ふくしまがた)は、新潟市北区と新発田市にまたがる262haの潟湖(せきこ)に分類される湿地です。浅い水域にヨシ帯が島状に広がり、日本の原風景「豊葦原の国」を思わせる越後平野最大の「潟」です。

福島潟へは五頭連峰を主な水源とする13本の河川が流入、水面標高マイナス0.7m、平均水深0.5mという越後平野の低湿地環境を象徴する存在です。

福島潟の成り立ち

その昔海岸線に形成された砂丘により阿賀野川などの流れが遮られ、さらに砂丘列の内側に土砂が堆積し、2000年~1000年前に福島潟は形づくられました。延宝8(1680)年頃、面積は約5,800haあったと伝えられています。江戸時代中期の享保15(1730)年に阿賀野川下流で開削された松ヶ崎掘割の決壊をきっかけに周辺の開墾、干拓事業が進み、さらに昭和36(1961)年の新井郷川排水機場の完成もあり国営福島潟干拓建設事業が始まりました。その結果、昭和(1975)年に169haが農地となり福島潟は193haとなりましたが、現在、河川改修事業で新たに湖岸堤が東側につくられて福島潟の面積は262haに広がりました。

福島潟の自然~四季の野鳥

福島潟は、これまで220種以上の野鳥が確認され国の天然記念物オオヒシクイの日本有数の越冬地として知られています。ヨシ群やヒシ群が優占する中で、アサザやガガブタ、オニバスなどの絶滅危惧種が生育しています。希少なオオルリハムシなどの昆虫も確認しています。これら福島潟の湿地生態系の中で野鳥たちは、季節によって顔ぶれが変わり福島潟の環境の多様性、自然の豊かさを感じさせてくれます。

 

春は黄色い菜の花が園地に広がり、ヒバリやカワラヒワが囀ります。周辺のヨシ原でノビタキ、まもなくオオヨシキリの声が聞こえてきます。ツバメが舞いヨシが生長する6月、ヨシゴイやバンが営巣します。周辺田んぼを行き来するアマサギが少なくなると水面ではコガモやマガモが増えます。9月末、マガンやオオヒシクイを初認するころ樹林帯ではコサメビタキなど渡りの小鳥たちが通過します。秋、10月上旬にコハクチョウが飛来し11月その数を増やしていきます。ガンカモと猛禽の季節の始まりです。雪が降り積もる12月ではオオヒシクイは最大6千羽になることもあります。マガモやコガモが優占するカモ類は1~2万羽を数え、トモエガモも混じります。ヨシ原ではカシラダカやオオジュリンが見られ、その上をチュウヒが舞います。時々オオタカ、ハヤブサがカモの群れを追います。オジロワシも飛来しカモを捕らえます。雁晴れ舎(環境省の野鳥観察舎)から望むオオヒシクイの飛び立ちは早朝日の出頃からが見ごろです。例年1月にオオワシが登場しバーダーを楽しませてくれます。2月上旬の寒波を過ぎれば、雁たちの北帰が始まり、福島潟は徐々に春へと向かいます。

福島潟の今~治水事業で干拓地を潟に戻す

福島潟周辺は水害の歴史もあわせ持ち、近年では昭和41(1966)年下越水害と翌昭和42(1967)年の羽越水害で甚大な被害がありました。福島潟には南側の五頭連峰流域からの水を溜める遊水地の役割がありますが、増水時には迅速に海まで水を流せるようにするため、平成15(2003)年に福島潟放水路が完成しました。また、全体事業費172億円の福島潟河川改修事業計画が平成15(2003)年から開始され、湖岸堤整備や流入河川整備、潟の拡大などの工事が現在進行しています。この計画の中で最大の特徴であり、注目するところは、遊水池面積の拡大を目的とした「干拓地を潟に戻す」です。これは国内でもあまり例がない実質的な湿地拡大であり自然再生といえる画期的な事業です。主に旧干拓地であったところを含む東側のエリアで潟が拡大することになります。新潟県によるその計画ではオオヒシクイの生息に配慮した緩衝帯ゾーンを外側にしてマコモの生育をイメージしたなだらかな水際の浅い水場ゾーンが大きく計画されています。河川改修とオオヒシクイをシンボルとした環境保全との調和が目指されています。

福島潟~オオヒシクイが選んだ潟

平成2(1990)年、自治省(現総務省)のリーディングプロジェクト「自然とのふれあいの里づくり」の指定を受け福島潟自然生態園整備計画が進められた結果、平成9(1997)年福島潟の一角に水の公園福島潟として自然生態園や水の駅「ビュー福島潟」がオープンしました。
平成26(2014)年からは福島潟みらい連合が指定管理団体として水の駅「ビュー福島潟」や公園の管理運営を行い福島潟の生物多様性の保全と持続可能な利用に努めています。


福島潟はオオヒシクイが選んだ「潟」です。

この潟の保全と持続的な利用を進めて未来へつなげていきましょう。

四季折々の風景、オオヒシクイが選んだ「福島潟」をお楽しみください。